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Dating Scienceについて

離婚の歴史から学ぶ「恋愛第三の力」

恋愛活動は、基本的に自身とパートナが中心となって行われます。同時に「交際」、「結婚」もしくは「破局」という状態変化を伴います。

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 この状態変化は「告白」、「プロポーズ」などの当事者のアクションにより発生します。しかし、そのアクション自身は決して本人の意思だけで決定しているものではありません。今回は「離婚」に着目し、恋愛の「第三の力」そして科学的なアプローチについて解説します。

 

 

離婚率の推移

平成28年(2016)人口動態統計の年間推計を見ると、平成28年の推計離婚数は21万7000組で、離婚率は1.73(人口千体)でした。昨今のメディア報道によると離婚数が増加傾向にあることはご存知の方も多いと思います。

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上記の表は1883年(明治16年)から2013(平成24年)の離婚数・率を表しています。離婚数は近代にかけて増加していますが、離婚率はいびつな谷型をしていることがわかります。近年に入り離婚率は2002年に2.30 とピークを迎えますが、2013年に1.84と減少傾向にあります。しかし、明治16年の離婚率を見ると現在の約1.8倍の3.38と,非常に離婚が多いというデータが残っております。

高い離婚率と民法

 明治頃の離婚率は世界的に見ても最も高いと言われています。その理由には

  • 「結婚は生涯続ける関係」という意識が乏しかった
  • どちらかの親と同居するのが当たり前であった
  • 離婚に理由が必要無い
  • 離婚の手続きが決まっていないところが多かった
  • 親や周りの人間の意志で離婚ができた

などがあげられます(湯沢,2005 『明治の結婚 明治の離婚-家庭内ジェンダーの原点』)。

役場が戸籍に「離婚」と記入するだけで離婚が成立していたため、近所や家族の申し出、または別居が長いことを知るだけで、離婚が容易に起きていたと考えられます。

離婚率の急激な減少は、1898年7月に施行された民法をきっかけに起こりました。民法が施行された1898年の離婚率は前年の20%減、1899年は前年の33%減と大きく離婚率に影響していることが読み取れます。

この民法により離婚届の形式化が行われ、離婚時に婚約時に署名した同一人物の署名が必要になり、第三者が離婚を一方的に成立できなくなりました。また、戸籍法が改革され、戸籍標本に離婚歴が残るようになったことも、離婚を避ける意識が生まれたきっかけになったのかもしれません。

しかし当時の民法では、離婚をすると親権が基本的に父親のものになっていたため、母親は自分の子供と別れる必要がありました。また、女性は自身の力のみで生活することが困難な時代であったために、離婚後の生活を考えると思い留まらざる得なかった状況が推測されます。

現代における第三の力

離婚は当事者だけの意志ではなく、法律を含めた周囲の環境に影響を受け、その価値観も大きく変化してきました。近代に入り,恋愛に対する価値観も大きく変わっています。1982年のヒット曲ランキング1位はあみんの「待つわ」でした。この曲は「私待つわ いつまでも待つわ たとえあなたが振り向いてくれなくても」という歌詞が支持されています。近年のヒット曲の中では、2010年着うたフルランキング 1位である西野カナの「会いたくて 会いたくて」が代表的です。こちらの歌詞は「会いたくて会いたくて震える」と待つことへの辛さを歌い、多くの若者から支持されています。

この価値観の違いは携帯電話が登場し、繋がることが当たり前になった社会だからこそ生まれたものであり、恋愛に求められることが大きく変化したことを表しています。携帯電話は身近な存在で、大きく価値観を変えたためイメージがしやすいと思います。しかし、携帯電話以外にも様々なコミュニケーションが我々の価値観に影響を与えています。

Diverse技術研究所は、そのように恋愛に影響を与えるコミュニケーションメディアを開発し、恋愛活動をより快適にできる社会を実現するために研究を行っております。

過去の研究の一部は下記のリンクにありますので,興味を抱かれた研究者やメディアの方はご連絡ください。

research.diverse-inc.com